ガイドのアリー君と、私。
iPhoneの辞書やら下手な絵やら総動員して、
なんとか会話しつつ少数民族の村へのトレッキングを続けている。
「ガールフレンドはいるの?」
19才のアリー君に聞いてみた。
「いないよ。だれか日本から連れてきてよ〜」
「そうなんだ・・・」
5分ほど無言で歩いていたが、突然アリー君振り返る・
「ガールフレンドはいないんだけど、奥さんはいるんだよ」
「えっ?」
「奥さんは25才。モン族」
「へえっ」
「アリー君はラオ族?」
「僕もモン」
そうだったんだ。ラオスに来てまだ2日目の私には
その辺がさっぱりわからない。
確かに、ラオ族と自己紹介したヴィッターナさんとはずいぶん感じが違う。
アリー君は日本にいても違和感なしのモンゴロイド系。
ルアンパバーンからバスで少し離れた
ローカルな村の出身。
村はとてもトラディショナルで、きれいだから
遊びにおいで、と言っている。
奥さんはすでにアメリカに住んでいるそうだ。
モン族はベトナム戦争の際、アメリカ軍の兵士として戦場に向かい、多数が犠牲になっているそうだ。その関係なのか、今もモン族はアメリカに住んでいる人が多いという。
ラオスは今も内戦があるらしいし、モン族を始め各民族には悲惨な歴史がある。
でも、私が会った人たちは、だれもそれを語らない。
1975年、戦争が終わった。そして、今は平和だ。
彼らはそう語る。
私が野鳥好きだと知ると、アリー君は、物慣れた様子で
口笛のようなモノを吹いては鳥を呼ぶ。
が、ちっともやってこない。むしろ、アリー君を見ると
そそくさっ、と逃げてしまうような・・・・
ラオスの人は、今も野鳥を食べるし、貴重な現金収入源になるらしい。
アリー君の村でも、みんな野鳥を捕るそうだ。
郷に入りては・・・
ここでは野鳥は見るものではなく、食料であると考えを改め
バードウォッチングはあきらめた。
暑さもピーク。東京での一夏分の汗をかいたな〜と
思う頃、今日の目的地HoyFai 村に着く。カンボジアの方から戦乱を逃れてやってきたKumo族、74家族が暮らす村だそうだ。
高床式。床の下には、
豚、鶏、犬、子供。
若い人も中年もいないので、
多分みんな畑などに働きに行っているのだと思う。