2010年6月4日金曜日

ベトナム& ラオス旅行7   なぜか懐かしい、ホイアンの街 

ホイアンは1999年、ユネスコの世界遺産にも登録された、古い街並みが残る懐かしさでいっぱいの街だ。
初めての異国なのに懐かしい、というのも変だけど、なぜか訪れる人皆に懐かしさを感じさせる不思議な街だ。
中でも、観光客なら必ず訪れるのが、来遠橋(日本橋)。
どうみても中国風に見えるが、1593年に、当時この街に住んでいた日本人たちによってかけられたとこうことになっている。
最盛期には1000人以上の日本人が住んでいたそうだ。郊外には日本人の墓も残っている。
もしも江戸幕府が鎖国政策を取らなかったとしたら、
日本は今頃どんな国になっていたのだろう。


街にはアメリカの映画に出てきそうなあれこれごちゃ混ぜ「アジア」の気分があふれてる。
銅鑼がなって、謎の東洋人がアチョーって飛び出してきそう。




家の造りは、ほとんどが京都の町屋のように細長く、奥に中庭や、井戸、台所が設けられている。
左下の写真は、一般に公開されている進記家の奥。200年前に建てられた、中国、広東省出身の漁師の家だそうで、今も普通に家族が暮らしているようだ。
道路沿いの部分は螺鈿の装飾が見事な格調高い家なのだが、
つい、舞台裏に目がいってしまい・・・。
昭和30年代、東北の農家や、商家の奥もこんな感じだったことを懐かしく思い出した。(快く写真を撮らせていただきありがとうございます。)




日本人の観光客には1組しか合わなかったが、とにかく中国の人が多い。
そのパワフルなこと、賑やかなこと。
この暑さに全くめげず、ストッキングにエレガントなドレス。でこぼこの道をハイヒールでがんがん歩いている。
数も多いけど、一人一人のパワーも日本人の2倍ぐらいづつありそう。若い人も多いし。
ちょうど、バブルの頃の日本人のような印象がある。

ベトナム人も日本と比べて圧倒的に若い人の比率が高い。
日本は、本当に高齢化しているし、パワーも下がっているのかも。
存在感が薄くなっているような・・

と、少々感傷に浸りつつ、暮れゆく街を眺めながら
「モーニング・グローリー」というしゃれたカフェ風のお店で
一人、ゆったりとした食事を楽しむ。ミント入り緑茶がとてもおいしかった。





今日はこれで予定終了。ホテルへのシャトルバスの発着場へと向かう。
が、が・・・道路を渡れない!町外れの片道2車線ぐらいの道路が、通勤帰りのバイクでいっぱい。信号もなければ横断歩道もない。右車線も左車線もない。右からも左からも、うねるように次々バイクがやってくる。どうしたらいい? もうあたりは真っ暗で、ほとんど泣きそう。
5分以上立ち尽くしていただろうか。
見かねた近所の男性が、「シャルウィーダンス?」って言う感じに手を差し出して、一緒に渡ってくれた。堂々と渡れば、バイクが止まる。でも怖い! 本当にありがとうございました。ああ、かっこ悪かった・・・・