2010年6月14日月曜日

ラオス旅15 少数民族の村



ガイドのアリー君と、私。
iPhoneの辞書やら下手な絵やら総動員して、
なんとか会話しつつ少数民族の村へのトレッキングを続けている。

「ガールフレンドはいるの?」
19才のアリー君に聞いてみた。
「いないよ。だれか日本から連れてきてよ〜」
「そうなんだ・・・」

5分ほど無言で歩いていたが、突然アリー君振り返る・

「ガールフレンドはいないんだけど、奥さんはいるんだよ」
「えっ?」
「奥さんは25才。モン族」
「へえっ」
「アリー君はラオ族?」
「僕もモン」

そうだったんだ。ラオスに来てまだ2日目の私には
その辺がさっぱりわからない。
確かに、ラオ族と自己紹介したヴィッターナさんとはずいぶん感じが違う。
アリー君は日本にいても違和感なしのモンゴロイド系。

ルアンパバーンからバスで少し離れた
ローカルな村の出身。
村はとてもトラディショナルで、きれいだから
遊びにおいで、と言っている。
奥さんはすでにアメリカに住んでいるそうだ。


モン族はベトナム戦争の際、アメリカ軍の兵士として戦場に向かい、多数が犠牲になっているそうだ。その関係なのか、今もモン族はアメリカに住んでいる人が多いという。
ラオスは今も内戦があるらしいし、モン族を始め各民族には悲惨な歴史がある。
でも、私が会った人たちは、だれもそれを語らない。

1975年、戦争が終わった。そして、今は平和だ。
彼らはそう語る。

私が野鳥好きだと知ると、アリー君は、物慣れた様子で
口笛のようなモノを吹いては鳥を呼ぶ。
が、ちっともやってこない。むしろ、アリー君を見ると
そそくさっ、と逃げてしまうような・・・・
ラオスの人は、今も野鳥を食べるし、貴重な現金収入源になるらしい。
アリー君の村でも、みんな野鳥を捕るそうだ。
郷に入りては・・・
ここでは野鳥は見るものではなく、食料であると考えを改め
バードウォッチングはあきらめた。


暑さもピーク。東京での一夏分の汗をかいたな〜と
思う頃、今日の目的地HoyFai 村に着く。カンボジアの方から戦乱を逃れてやってきたKumo族、74家族が暮らす村だそうだ。



高床式。床の下には、
豚、鶏、犬、子供。

若い人も中年もいないので、
多分みんな畑などに働きに行っているのだと思う。

そういえば、さっきあった象使いさんも
この村の人だと言っていた。

文句なく、美しい。懐かしい。
だけど、なんだかあまり心が動かない。






多分、私の心が摩耗してしまったのだ。

36年も前に訪ねた韓国の田舎。
トレッキングで訪ねたネパールの村々。
チベット、インド、スリランカ。
シナイ半島のベドウィンのキャンプ。
パラオ、モルジブ、ケニア。
タンザニアのマサイの村や、タヒチの海辺の村。


人間が、暮らす。
山の中、砂漠、森の中。
様々な生き物の生命をいただき、
子供を産み、生きていく。
やがて、老い、朽ちていく。

この営みは、どこに行っても、少しも変わらない。
でも、都会に暮らし、経済というシステムの中に組み込まれていると、
この骨組みがよく見えなくなって、
自分の足元すらよく見えなくなる。
生きていくこと自体が、途方もなく難しく思えてくる。

そんな時、私は(多分みんな)旅に出たくなるのではないだろうか。

そして、結論はいつも同じ。

私が生きていくのは、ここ日本だということ。

家族、友人も、仲間。
それは最も大切な宝物であること。

仕事は、生きていくための糧。
そして、この仕事は、私の持っている資質に
ほんとうふさわしい仕事であるということ。

日本の自然、文化。
そのすべてが、奇跡のように美しいということ。

ここではないどこか、は、地球のどこにもないこと。



こんなとこまでやってきて、
そんなしょうもないことに気がついても・・・・・ね。













2010年6月9日水曜日

ベトナム&ラオス旅行14 焼き畑&象のオフタイム

相変わらずめちゃくちゃ暑くて、あまり乗り気ではなかったが、
学校を休んできてくれたガイドさんにも悪いし・・・と
また、川を渡って山岳民族の村へとトレッキングに出かけた。

ジャングル、とはいっても、ラオスの森は熱帯林ではない。
常緑季節林、および半常緑林と呼ぶそうだ。
中に入ってみると、ここがまだ年若い二次林で、
人の生活と密着した森であることがよくわかる。
天然と思われるのは、川に面した急斜面だけだ。
そう、ラオスは今も焼き畑の国。

知識としては知っていたし、飛行機から見たことはあるが、
実際に焼き畑をが行われている森を歩くのはこれが初めて。
この焼き畑については、訊ねる人ごとに違う答えが返ってくるので
正確なことがわからないが、聞いた限りのことをメモ代わりに書いておく。
基本的には10年に1回木を切り、跡地を焼く。
切った木は、燃料や建築の材料等に使われる。
その跡地に、陸稲、ゴマ、トウモロコシなどの作物を育てる。
地面を焼くことで、灰が肥料となり、雑草も押さえられるというわけだ。
作物と共に生えてくる、蔓性の植物や草木も、和紙のような紙の原料などになる。
これはお土産として人気があるので貴重な現金収入になるそうだ。
で、1回作物を育てた畑は、また放置して森に戻し、10年たったら、繰り返しというのが
現在推奨されている焼き畑の方法らしい。


上から2枚は地面を焼いた後の畑。
たいてい、作業小屋があって、
一番暑い時間は誰かが昼寝をしている。
左は焼いた後の畑に蒔かれたトウモロコシの種。
結構アバウト。





生えてきたトウモロコシ。日本的な畑を見慣れた目には相当ゆるい感じ。日本の農家では隣近所の目で許されそうにない。雑草もバシバシ生えている。 






バナナも、焼き畑に植える作物だったんだ!
考えてみれば当たり前だが、ちょっとびっくり。






基本的には、日本の里山とあまり変わらない、のんびり懐かしい風景だ。

これが続けば理想的な持続可能なエコシステム、なのだが、
現実はなかなか厳しいらしい。
不当な森林伐採、10年も待たずに、すぐに作物を植えてしまうことによっての地力の低下、
外国に木材を売るための植林地の増大、貧困の拡大や人工の増加に伴う焼き畑耕地の拡大、等々。一方で薪を使う人が減って、森が荒れている(日本の里山問題と同じ)、紙を作る職人が高齢化して、質のいい紙を作れなくなっているなどという話も聞いた。

グローバル化と人口増加の問題、そして環境の問題は、ここでも同じように進行している。
もう、地球には楽園なんてない。

トレッキングの途中、ちょっとうれしいことがあった。
象のフンが点々と落ちている。
野生の象はいくら何でもいないだろと、ガイドに聞いてみると、
これはエレファントキャンプの象とのこと。

象は仕事が終わった後、川を渡り、勝手にジャングルに帰って、
食事して、のびのび寝るのだそうだ。

朝になると、またキャンプに出勤。象使いに体を洗ってもらい、
はしゃぎまくる観光客を乗せて、淡々とお仕事する。
つながれっぱなしじゃないんだ。
日本の動物園の象よりは、少し幸せかも。

その夜、バンガローのテラスで、対岸を歩く象の声を聞いた。
何て言ってたんだろうね。



2010年6月8日火曜日

ベトナム&ラオス旅行13 61才の象に乗る

ルアンパバーン郊外のジャングルの中。

夜明けのジャングルに響く鳥の声は迫力に満ちていた。
中でも気になったのは
「フォー フォー フォー フォー」と、低い声で聞かせる鳥。
最初はサルの仲間か? と思ったが、ホテルのヴィターナさんによれば
Greater  Caucal オオバンケンという鳥だそう。
ジャングル気分満点で、ディズニーランドのアトラクションで採用されそうな歌声だ。


今日は、エレファントライディング&山岳少数民族の村へのトレッキングに出かけることにした。


ガイドは、ルアンパバーンで英語を勉強しているという、アリー君。
まだ19才! 息子と同じ年だ。
エレファントキャンプは山道を歩いて20〜30分。こんな山奥なのに、
結構たくさんの欧米観光客がやってきているのに驚く。


私は、結構象マニア。
20年ほど前に、ネパールのチトワンで、象に乗ってサイ&トラを探して以来、
すっかりその魅力にはまり、
スリランカで1ヶ月、アフリカで3週間、野生の象三昧の旅をしている。


このエレファントキャンプは、本当に観光用という感じ。
私の乗った象はなんと61才。
非常に、こなれた、というか、物慣れた表情だが、
乗るのが申し訳ないような・・・
目は白濁して、白内障を起こしているようだ。


そんな彼女に乗って、ジャングル散歩というのも、なんだか・・
東京の家の近所にある、ポニー広場とあんまり変わらないような・・・・


が、ここで乗らないのも、ガイドに悪いし、せっかく来たし、
象だって、61才となれば後の職はなく、今更野生にも帰れないだろうし、
と、大変日本人らしく、かつ等身大の判断の下、
象に乗って崖を下り、川を渡って、崖登り。


象の皮膚にそっと触って
「ねえ、これって、どうなの? お仕事つらくないの?」
と念を送って訊ねてみたが、
なんの返事も返ってこなかった。
言葉が通じないのか、諦観なのか、無粋と一蹴されたのか。


まあ、50代になって、年間1000ページ近いコピーを書いている私だって
十分大変か。


象については、この後また。











2010年6月7日月曜日

ベトナム&ラオス旅行12  英語とパソコン

ラオスの山奥まで一人でやって来ておいて、
こんな事をいうと、無謀だとあきれられるとは思うが、
私の英語力は、ほんとダメダメ。
観光向けの旅行英会話集に出ているフレーズが
かろうじて使える程度だ。

そんな私に、一人で手配もすべてやってみよう、
と決心させてくれたのはiPhone&Mac Book Air.そして、
ラオスでもずいぶん使えるようになったWi-Fiの存在だ。

まず、iPhone. 電話として使うことはなかったが、
日本にいるとき同様によく使った。

1番はやっぱり英語の辞書。
普段から愛用しているi英辞郎は、旅で使える例文も多いので、会話にとても役立った。

2番はCurrencyという現地通貨換算ソフト。
日本にいても計算は(も)まるでダメな私。ベトナムの通過は100円が約20,000ドンと
やたらゼロが多くて、それを英語で言うと・・・など悩みいっぱいだったのが、
このソフトのおかげであっさり解決。
数字をぽんぽん打って、相手に見せる。
ドンやラオスのキープ表示をドルで支払う際に、本当に便利だった。


3番はFlight Track Pro
航空会社でeチケットを購入した際メールで送られてくる旅程を、
このソフトに送っておけば、
フライトスケジュールは一目瞭然。
ディレイなどの変更情報も細やかに送られてくる。行き先の天気予報まで見られて、
これが結構役に立った。


ノートパソコンもよく使った。
どのホテルもWiーFiが使えたので、
旅の最中に生まれた様々な疑問をインターネットで検索。
もちろんメールも打てるし、デジカメのデータもバックアップ。

そして一番役に立ったのが、コリャ英和の翻訳ソフト。
日頃仕事等で使うには相当なボケだと思うが、
旅では十分。正しい英語である必要はなく、要件が伝わればいいのだから。
相手も気軽にキーボード打ってくれるし。

パソコン、デジカメ、iPhoneとなると、それぞれに充電器なども必要だし、やっぱり重いしかさばる。しかも行きの便では乗り換えに余裕がなく、すべて機内持ち込みにする必要があったので、他の荷物は最小限。シャンプーすらあきらめ、パソコンをとった。


リュック一つ。予定も立てず。もちろんパソコンなんかなしで、1ヶ月以上ぶらぶらしていた昔の旅が懐かしい。
でも、50代になった今の私の体力気力ではもうあんな旅を楽しめそうにない。

iPadの発売が1ヶ月延期になって、間に合わなかったのが
今でも悔しい!

ベトナム&ラオス旅行11  ラオ・リゾート・スピリット

ラオ・リゾート・スピリットのフロントは、移築されたラオスの古民家の2階。
サンダルを脱いで上る木の階段が素足に心地いい。
あ、ここは、とてもいい。確信のようなものが広がった。

テラスに、小さなデスクと、
いくつかの椅子を置いただけのフロント&ロビーは
今まで訪れたどのホテルより心地いい。

出迎えてくれたのはドイツ人のマリオと、ラオス人のヴィッターナさん。
まるで友人のコテージを訪れたような、フレンドリーな歓迎を受ける。

私が野鳥や野生動物好きな事を知ると、
奥から自分のノートパソコンを出してきて、周辺の生き物写真をいろいろ見せてくれる。
今まで4日間、本当に事務的な話しかしていないので、なんだかとてもうれしかった。


シーズンオフのためか、今夜のお客は私一人。
5件あるバンガローの一つに案内される。

広く清潔な部屋。谷に望むテラス。そして、何より気に入ったのは、真っ青なタイルを貼った、屋外のシャワールーム。

ジャングルに満ちる、ざわざわとした気配や、怪しげな鳴き声の中で浴びる
冷たいシャワーは至福の時間をもたらしてくれた。
(この時は、シャワーのヒーターを付ける方法をまだ知らなかったんだけど)

2010年6月6日日曜日

ベトナム&ラオス旅行10   ルアンパバーンへ。覚悟決めました。   

小さなラオス航空機は雲の中を
ガタガタガタガタ・・・・

入国カードを書き込むのも一苦労だ。

雲の下に、まばらな灯りがぽつぽつと見えてきた。

灯りには、その街の暮らしを感じさせる体温のようなものがある。

ポツポツと見える白熱電球の灯りには、
何となく人々の暮らしのぬくもりのようなものが感じられるし、
水銀灯や、蛍光灯の白々とした灯りには、
街の活力のようなものを感じる。
街灯が描き出す、道路のシルエットにも、その街の成り立ちが見えてくる。


ルアンパバーンの空港はかなり薄暗い。
乗ってきた欧米人のほとんどは、入国ビザのカウンターに並んでしまったので、
荷物を受け取り、外に出てきた人はほんのわずか。
もう外は真っ暗だ。

ロビーの外には、私の名前を書いたホワイトボードを持った
ホテルの迎えの人が立っていた。
ほっと一安心。

が、安心するのは早かった。

このドライバーさん、ハローのひとことすら
英語を話せない。
ちょっと恥ずかしそうにしているだけで、
ほとんど無表情。

お客は私一人。
車は、空港からルアンパバーンの街へ。
そして、そこから、どんどん山の中へ入っていく。
人家なし。何にもナシ。
どんどん、どんどん、どんどん、どんどん!

何を話しかけても全然通じない。

あたりは完全なジャングル。道路はガタガタ。
そして、道はどんどん細くなる。

ああ、もしかしたら、私はこのままどこかに・・・
息子やワンコに悪いな。
でも、私はもうほんとにやりたいことやったし、
楽しいこといっぱいだったし、思い残すこともないし・・・

など、思い始めたのが走り出して20分ぐらい。

そこからさらに20分。

フロントガラスの向こうに灯りが見えて、
そこから
「ハロー〜」と白人が出てきたときには、
母国で母国語に会ったようにほっとした。

ルアンパバーンの空港ビル。これですべて。 

ベトナム& ラオス旅行9 ダナン→ルアンパバーン 

旅行4日目。ベトナムホイアンから、ラオスのルアンパバーンへ向かう。

海辺のホテルからタクシーでダナン空港へ。
ダナン空港のローカルな食堂で軽くお昼。
メニューにはいろいろ書いてあるのだが、結局今食べられるのは
インスタントフォーのみ。

→すぐにフタ代わりにお皿をかぶせて
出てきた。




ライムとチリとレンゲ付き。
さりげなく可愛い。
魚肉ソーセージ風のトッピング付き。
味は・・・・やっぱりインスタントでした。

コーヒーを頼むと
「ブラック or   ホワイト?」
と、聞かれる。
ブラックはわかるけど、ホワイトって?

説明するのもめんどくさそうにしてるので試してみたら、
コンデンスミルクをたっぷり入れたグラスにベトナムコーヒーを注いだ
極甘タイプだった。



ハノイからは、ラオス航空でルアンパバーンと向かう。
ここで、お客さんの層ががらっと変わる。
ほとんどが欧米人。中国人がグッと少なくなる。

機体は小さなプロペラ機。

こういう感じ、好きです!

いよいよラオスへ。

期待は一気にたかまった。















2010年6月5日土曜日

ベトナム& ラオス旅行8  ホテルの絵が不気味な件



ベトナム3日目。
実はこの部屋に入ったときから、壁に掛けられた絵が気になって仕方ない。
素朴なタッチで描かれた昔の集落の絵なんだけど、妙な浮遊感というのか、
落ちつかなさを感じるのだ。部屋のどこにいても、この絵が気になる。

ふと、元客室乗務員の知人に聞いた話を思いだした。
「ホテルの部屋の雰囲気が怪しい、と思ったら部屋に飾ってある絵の裏を見るといいんですって。事件のあった部屋や、何かが出る、とウワサのある部屋の絵には、裏に何らかの<おフダ>が貼ってある。」

とのこと。うーん。

絵、そのものが怖い場合、どうしたらいい?
結局、絵を裏返してみる勇気は出ないまま、3泊を過ごしたんですけど。

2010年6月4日金曜日

ベトナム& ラオス旅行7   なぜか懐かしい、ホイアンの街 

ホイアンは1999年、ユネスコの世界遺産にも登録された、古い街並みが残る懐かしさでいっぱいの街だ。
初めての異国なのに懐かしい、というのも変だけど、なぜか訪れる人皆に懐かしさを感じさせる不思議な街だ。
中でも、観光客なら必ず訪れるのが、来遠橋(日本橋)。
どうみても中国風に見えるが、1593年に、当時この街に住んでいた日本人たちによってかけられたとこうことになっている。
最盛期には1000人以上の日本人が住んでいたそうだ。郊外には日本人の墓も残っている。
もしも江戸幕府が鎖国政策を取らなかったとしたら、
日本は今頃どんな国になっていたのだろう。


街にはアメリカの映画に出てきそうなあれこれごちゃ混ぜ「アジア」の気分があふれてる。
銅鑼がなって、謎の東洋人がアチョーって飛び出してきそう。




家の造りは、ほとんどが京都の町屋のように細長く、奥に中庭や、井戸、台所が設けられている。
左下の写真は、一般に公開されている進記家の奥。200年前に建てられた、中国、広東省出身の漁師の家だそうで、今も普通に家族が暮らしているようだ。
道路沿いの部分は螺鈿の装飾が見事な格調高い家なのだが、
つい、舞台裏に目がいってしまい・・・。
昭和30年代、東北の農家や、商家の奥もこんな感じだったことを懐かしく思い出した。(快く写真を撮らせていただきありがとうございます。)




日本人の観光客には1組しか合わなかったが、とにかく中国の人が多い。
そのパワフルなこと、賑やかなこと。
この暑さに全くめげず、ストッキングにエレガントなドレス。でこぼこの道をハイヒールでがんがん歩いている。
数も多いけど、一人一人のパワーも日本人の2倍ぐらいづつありそう。若い人も多いし。
ちょうど、バブルの頃の日本人のような印象がある。

ベトナム人も日本と比べて圧倒的に若い人の比率が高い。
日本は、本当に高齢化しているし、パワーも下がっているのかも。
存在感が薄くなっているような・・

と、少々感傷に浸りつつ、暮れゆく街を眺めながら
「モーニング・グローリー」というしゃれたカフェ風のお店で
一人、ゆったりとした食事を楽しむ。ミント入り緑茶がとてもおいしかった。





今日はこれで予定終了。ホテルへのシャトルバスの発着場へと向かう。
が、が・・・道路を渡れない!町外れの片道2車線ぐらいの道路が、通勤帰りのバイクでいっぱい。信号もなければ横断歩道もない。右車線も左車線もない。右からも左からも、うねるように次々バイクがやってくる。どうしたらいい? もうあたりは真っ暗で、ほとんど泣きそう。
5分以上立ち尽くしていただろうか。
見かねた近所の男性が、「シャルウィーダンス?」って言う感じに手を差し出して、一緒に渡ってくれた。堂々と渡れば、バイクが止まる。でも怖い! 本当にありがとうございました。ああ、かっこ悪かった・・・・

2010年6月3日木曜日

ベトナム& ラオス旅行6   ホイアン たくましい!ベトナムのお姉さん。

トゥポン川のほとり。

ベトナムで迎える最初の朝は、異国情緒たっぷりの野鳥の声で目覚める。
と、いう予定だったが、窓の外から聞こえてくるのは、おなじみスズメのおしゃべり。
もしや、ちょっとは珍しいスズメではと双眼鏡でチェックするが、どこから、どう見ても、日本で見るあのスズメだ。

レストランでビィッフェ式朝食。ほとんどお客さんがいない。
もう9時だから、みんな終わってどこかへ出かけてしまったのだろうか?

ホテルで作っているのだろうか。様々な種類が揃ったパンがおいしい。
特にバケット。エキゾチックなフルーツやチーズで、充実した朝ご飯だ。
(もちろん、ビッフェにはローカルフードや、ハム、ベーコン類、卵類もいっぱい)

部屋に戻って荷物を整理。さっそく、「プライベートビーチ」なるものに
行ってみよう。
あれ、ここにも誰もいない。
時々現地の人が珍しそうに寄ってくるだけ。
野鳥も、やっぱりスズメとツバメだけ。

部屋で一休み。

13時。
さて、いよいよ、シャトルバスでホイアンの街へ。
が、玄関前にはそれらしい車がいない。
あれあれ?

ボーイさんに聞いてみると、
次は13時です。と、腕時計を見せてくれる。
あれ、今11時だ!

iPhoneで時刻を、ベトナム時間に合わせたつもりが
なぜか戻ってしまい(その後もずっと)
私は、今朝からすべて2時前倒しで行動してたんだ。
どうりで、レストランもビーチもがらがらだ。
なんと、間抜けな・・・・・

で、仕切り直して、ほんとの13時。
シャトルバスで、ビーチから、ホイアンの街へと出かけた。
気温は35℃以上。湿度もすごい。歩くだけでもめまいがしてくる。
お腹もぺこぺこ。

まずは、ランチ。あ、あのお店は、ガイドブックに載っていた。
「名物カオ・ラウがおいしいと、地元でも評判の店。百数十年前の建物を改装した店で・・・」
もう、ほんとに昭和30年代、日本の田舎にあったような、ローカルなお店。
14時近いためかお客さんは誰もいない。人のよさそうな店主と、奥さん、子供たち。
そして、若いお姉さんが一人。
メニューを見ながら、
カオ・ラウ 15,000 と飲み物を注文。
日本の伊勢うどんがルーツ、日本人が伝えたとされる米製の麺に、
甘めのタレで味付けしたお肉が乗っていて、かなり美味。
うん、いけるいける・・・

と、そこで、店主と家族がオートバイで出かけてしまう。
振り返ってみると、若い美人のお姉さんが、 
客用テーブルに両足をのせ、携帯をいじってる。
にっこり笑いかけてみたが、フンッとされる。
「じゃますんなよ」って感じ?

でもま、大満足のうちに、お勘定を頼む。

「30ダラー」

「えっ、カオラウと、飲み物で30,000ドン(約150円)のはずでは?」

「30ダラー」!

メニューをもう一度見せてもらうと

カオラウ、飲み物どちらも15,000とあるだけで
通貨単位がない。

あんまりもめるのもいやなので、仕方なく30ドル払う。(バカ!)

あとで知ったのだが、これはベトナムで外国人をだます際の常套手段だとか。
「,」を小数点と強引に押し切るのだ。店によっては「,」以下を表記していないことも多いので、
だまされやすい。

でも、なんだか、悔しいやら、情けないやら・・・・
たった3000円弱でこんな気持ちになるのも悲しいが、
なんともやりきれなくなって、その後の食事も買い物も全く楽しめない。

そして夕方。
もう一度その店の中をのぞいてみると、今度はご主人と、
中高生の娘さんがいる。この人はすごくまじめそう。

思い切って中に入り、
「私はさっき30ドル払ったんですが、間違いではありませんか?」と
聞いてみた。
娘さんは英語もわかるようで、本当に恐縮し、平あやまり、
ご主人が30ドルを返してくれた。
ありがとう。

例のお姉さんは、相変わらず定位置で、ふてくされていたけど。

取り返したこの30ドル、その後高地民族の小学校建設のために寄付させてもらった。
ああすっきり!

2010年6月2日水曜日

ベトナム& ラオス旅行5  ホイアン 海辺のリゾートホテル(か?)



さて、タクシーは無事海辺のホテルについた。

リゾート気分満点の、ビーチサイトのホテル。
のはずだが・・・・・

海辺には海の家のようなオープンな店がずらっと列なり、
あたりは家族連れや、若者のオートバイでいっぱい。
景気づけなのか、お約束なのか、ピロピロピロ〜、ビービービー警笛ならして、音楽かけてお祭り騒ぎ。
夕涼みを兼ねて、海辺へ遊びに来ているらしい。
いや、その賑やかなこと。

ホテルと海との間に道路があって、そこがお祭り状態なんだから
ホテルの敷地内も、かなり騒々しい。

私がネットで取った部屋は
「Deluxe Garden View」。
3泊で$273 。支払ったときのレートで26,467円。この部屋しか取れなかった。

部屋に通される。まあ、GardenはViewできなくもないが、それ、本当にGardenか?
すぐ脇がピロピロピロ〜とか、ビービービーで、これじゃ東京の自宅兼事務所より疲れそう。
この部屋に3泊しても、とうていリラックスできないので
すぐフロントへ行って、リバービューの部屋に変えてもらう。
海の反対側には広い川が流れていて、ベトナムらしい風情だった。
1泊$15アップ。まあしかたない。1$91円ぐらいに下がっていたのがうれしい。

ああ、お腹がすいた。
さっそくレストランへ出向いて、
ホイアン名物ホワイトローズ&ベトナムビール。
ふと気づけば、音もなく灯籠が流れ、ホイアンムード満点!

とりあえず、成田からベトナムホイアンまで。
ひとりで何とかたどり着いた。