2010年6月14日月曜日

ラオス旅15 少数民族の村



ガイドのアリー君と、私。
iPhoneの辞書やら下手な絵やら総動員して、
なんとか会話しつつ少数民族の村へのトレッキングを続けている。

「ガールフレンドはいるの?」
19才のアリー君に聞いてみた。
「いないよ。だれか日本から連れてきてよ〜」
「そうなんだ・・・」

5分ほど無言で歩いていたが、突然アリー君振り返る・

「ガールフレンドはいないんだけど、奥さんはいるんだよ」
「えっ?」
「奥さんは25才。モン族」
「へえっ」
「アリー君はラオ族?」
「僕もモン」

そうだったんだ。ラオスに来てまだ2日目の私には
その辺がさっぱりわからない。
確かに、ラオ族と自己紹介したヴィッターナさんとはずいぶん感じが違う。
アリー君は日本にいても違和感なしのモンゴロイド系。

ルアンパバーンからバスで少し離れた
ローカルな村の出身。
村はとてもトラディショナルで、きれいだから
遊びにおいで、と言っている。
奥さんはすでにアメリカに住んでいるそうだ。


モン族はベトナム戦争の際、アメリカ軍の兵士として戦場に向かい、多数が犠牲になっているそうだ。その関係なのか、今もモン族はアメリカに住んでいる人が多いという。
ラオスは今も内戦があるらしいし、モン族を始め各民族には悲惨な歴史がある。
でも、私が会った人たちは、だれもそれを語らない。

1975年、戦争が終わった。そして、今は平和だ。
彼らはそう語る。

私が野鳥好きだと知ると、アリー君は、物慣れた様子で
口笛のようなモノを吹いては鳥を呼ぶ。
が、ちっともやってこない。むしろ、アリー君を見ると
そそくさっ、と逃げてしまうような・・・・
ラオスの人は、今も野鳥を食べるし、貴重な現金収入源になるらしい。
アリー君の村でも、みんな野鳥を捕るそうだ。
郷に入りては・・・
ここでは野鳥は見るものではなく、食料であると考えを改め
バードウォッチングはあきらめた。


暑さもピーク。東京での一夏分の汗をかいたな〜と
思う頃、今日の目的地HoyFai 村に着く。カンボジアの方から戦乱を逃れてやってきたKumo族、74家族が暮らす村だそうだ。



高床式。床の下には、
豚、鶏、犬、子供。

若い人も中年もいないので、
多分みんな畑などに働きに行っているのだと思う。

そういえば、さっきあった象使いさんも
この村の人だと言っていた。

文句なく、美しい。懐かしい。
だけど、なんだかあまり心が動かない。






多分、私の心が摩耗してしまったのだ。

36年も前に訪ねた韓国の田舎。
トレッキングで訪ねたネパールの村々。
チベット、インド、スリランカ。
シナイ半島のベドウィンのキャンプ。
パラオ、モルジブ、ケニア。
タンザニアのマサイの村や、タヒチの海辺の村。


人間が、暮らす。
山の中、砂漠、森の中。
様々な生き物の生命をいただき、
子供を産み、生きていく。
やがて、老い、朽ちていく。

この営みは、どこに行っても、少しも変わらない。
でも、都会に暮らし、経済というシステムの中に組み込まれていると、
この骨組みがよく見えなくなって、
自分の足元すらよく見えなくなる。
生きていくこと自体が、途方もなく難しく思えてくる。

そんな時、私は(多分みんな)旅に出たくなるのではないだろうか。

そして、結論はいつも同じ。

私が生きていくのは、ここ日本だということ。

家族、友人も、仲間。
それは最も大切な宝物であること。

仕事は、生きていくための糧。
そして、この仕事は、私の持っている資質に
ほんとうふさわしい仕事であるということ。

日本の自然、文化。
そのすべてが、奇跡のように美しいということ。

ここではないどこか、は、地球のどこにもないこと。



こんなとこまでやってきて、
そんなしょうもないことに気がついても・・・・・ね。













2010年6月9日水曜日

ベトナム&ラオス旅行14 焼き畑&象のオフタイム

相変わらずめちゃくちゃ暑くて、あまり乗り気ではなかったが、
学校を休んできてくれたガイドさんにも悪いし・・・と
また、川を渡って山岳民族の村へとトレッキングに出かけた。

ジャングル、とはいっても、ラオスの森は熱帯林ではない。
常緑季節林、および半常緑林と呼ぶそうだ。
中に入ってみると、ここがまだ年若い二次林で、
人の生活と密着した森であることがよくわかる。
天然と思われるのは、川に面した急斜面だけだ。
そう、ラオスは今も焼き畑の国。

知識としては知っていたし、飛行機から見たことはあるが、
実際に焼き畑をが行われている森を歩くのはこれが初めて。
この焼き畑については、訊ねる人ごとに違う答えが返ってくるので
正確なことがわからないが、聞いた限りのことをメモ代わりに書いておく。
基本的には10年に1回木を切り、跡地を焼く。
切った木は、燃料や建築の材料等に使われる。
その跡地に、陸稲、ゴマ、トウモロコシなどの作物を育てる。
地面を焼くことで、灰が肥料となり、雑草も押さえられるというわけだ。
作物と共に生えてくる、蔓性の植物や草木も、和紙のような紙の原料などになる。
これはお土産として人気があるので貴重な現金収入になるそうだ。
で、1回作物を育てた畑は、また放置して森に戻し、10年たったら、繰り返しというのが
現在推奨されている焼き畑の方法らしい。


上から2枚は地面を焼いた後の畑。
たいてい、作業小屋があって、
一番暑い時間は誰かが昼寝をしている。
左は焼いた後の畑に蒔かれたトウモロコシの種。
結構アバウト。





生えてきたトウモロコシ。日本的な畑を見慣れた目には相当ゆるい感じ。日本の農家では隣近所の目で許されそうにない。雑草もバシバシ生えている。 






バナナも、焼き畑に植える作物だったんだ!
考えてみれば当たり前だが、ちょっとびっくり。






基本的には、日本の里山とあまり変わらない、のんびり懐かしい風景だ。

これが続けば理想的な持続可能なエコシステム、なのだが、
現実はなかなか厳しいらしい。
不当な森林伐採、10年も待たずに、すぐに作物を植えてしまうことによっての地力の低下、
外国に木材を売るための植林地の増大、貧困の拡大や人工の増加に伴う焼き畑耕地の拡大、等々。一方で薪を使う人が減って、森が荒れている(日本の里山問題と同じ)、紙を作る職人が高齢化して、質のいい紙を作れなくなっているなどという話も聞いた。

グローバル化と人口増加の問題、そして環境の問題は、ここでも同じように進行している。
もう、地球には楽園なんてない。

トレッキングの途中、ちょっとうれしいことがあった。
象のフンが点々と落ちている。
野生の象はいくら何でもいないだろと、ガイドに聞いてみると、
これはエレファントキャンプの象とのこと。

象は仕事が終わった後、川を渡り、勝手にジャングルに帰って、
食事して、のびのび寝るのだそうだ。

朝になると、またキャンプに出勤。象使いに体を洗ってもらい、
はしゃぎまくる観光客を乗せて、淡々とお仕事する。
つながれっぱなしじゃないんだ。
日本の動物園の象よりは、少し幸せかも。

その夜、バンガローのテラスで、対岸を歩く象の声を聞いた。
何て言ってたんだろうね。



2010年6月8日火曜日

ベトナム&ラオス旅行13 61才の象に乗る

ルアンパバーン郊外のジャングルの中。

夜明けのジャングルに響く鳥の声は迫力に満ちていた。
中でも気になったのは
「フォー フォー フォー フォー」と、低い声で聞かせる鳥。
最初はサルの仲間か? と思ったが、ホテルのヴィターナさんによれば
Greater  Caucal オオバンケンという鳥だそう。
ジャングル気分満点で、ディズニーランドのアトラクションで採用されそうな歌声だ。


今日は、エレファントライディング&山岳少数民族の村へのトレッキングに出かけることにした。


ガイドは、ルアンパバーンで英語を勉強しているという、アリー君。
まだ19才! 息子と同じ年だ。
エレファントキャンプは山道を歩いて20〜30分。こんな山奥なのに、
結構たくさんの欧米観光客がやってきているのに驚く。


私は、結構象マニア。
20年ほど前に、ネパールのチトワンで、象に乗ってサイ&トラを探して以来、
すっかりその魅力にはまり、
スリランカで1ヶ月、アフリカで3週間、野生の象三昧の旅をしている。


このエレファントキャンプは、本当に観光用という感じ。
私の乗った象はなんと61才。
非常に、こなれた、というか、物慣れた表情だが、
乗るのが申し訳ないような・・・
目は白濁して、白内障を起こしているようだ。


そんな彼女に乗って、ジャングル散歩というのも、なんだか・・
東京の家の近所にある、ポニー広場とあんまり変わらないような・・・・


が、ここで乗らないのも、ガイドに悪いし、せっかく来たし、
象だって、61才となれば後の職はなく、今更野生にも帰れないだろうし、
と、大変日本人らしく、かつ等身大の判断の下、
象に乗って崖を下り、川を渡って、崖登り。


象の皮膚にそっと触って
「ねえ、これって、どうなの? お仕事つらくないの?」
と念を送って訊ねてみたが、
なんの返事も返ってこなかった。
言葉が通じないのか、諦観なのか、無粋と一蹴されたのか。


まあ、50代になって、年間1000ページ近いコピーを書いている私だって
十分大変か。


象については、この後また。











2010年6月7日月曜日

ベトナム&ラオス旅行12  英語とパソコン

ラオスの山奥まで一人でやって来ておいて、
こんな事をいうと、無謀だとあきれられるとは思うが、
私の英語力は、ほんとダメダメ。
観光向けの旅行英会話集に出ているフレーズが
かろうじて使える程度だ。

そんな私に、一人で手配もすべてやってみよう、
と決心させてくれたのはiPhone&Mac Book Air.そして、
ラオスでもずいぶん使えるようになったWi-Fiの存在だ。

まず、iPhone. 電話として使うことはなかったが、
日本にいるとき同様によく使った。

1番はやっぱり英語の辞書。
普段から愛用しているi英辞郎は、旅で使える例文も多いので、会話にとても役立った。

2番はCurrencyという現地通貨換算ソフト。
日本にいても計算は(も)まるでダメな私。ベトナムの通過は100円が約20,000ドンと
やたらゼロが多くて、それを英語で言うと・・・など悩みいっぱいだったのが、
このソフトのおかげであっさり解決。
数字をぽんぽん打って、相手に見せる。
ドンやラオスのキープ表示をドルで支払う際に、本当に便利だった。


3番はFlight Track Pro
航空会社でeチケットを購入した際メールで送られてくる旅程を、
このソフトに送っておけば、
フライトスケジュールは一目瞭然。
ディレイなどの変更情報も細やかに送られてくる。行き先の天気予報まで見られて、
これが結構役に立った。


ノートパソコンもよく使った。
どのホテルもWiーFiが使えたので、
旅の最中に生まれた様々な疑問をインターネットで検索。
もちろんメールも打てるし、デジカメのデータもバックアップ。

そして一番役に立ったのが、コリャ英和の翻訳ソフト。
日頃仕事等で使うには相当なボケだと思うが、
旅では十分。正しい英語である必要はなく、要件が伝わればいいのだから。
相手も気軽にキーボード打ってくれるし。

パソコン、デジカメ、iPhoneとなると、それぞれに充電器なども必要だし、やっぱり重いしかさばる。しかも行きの便では乗り換えに余裕がなく、すべて機内持ち込みにする必要があったので、他の荷物は最小限。シャンプーすらあきらめ、パソコンをとった。


リュック一つ。予定も立てず。もちろんパソコンなんかなしで、1ヶ月以上ぶらぶらしていた昔の旅が懐かしい。
でも、50代になった今の私の体力気力ではもうあんな旅を楽しめそうにない。

iPadの発売が1ヶ月延期になって、間に合わなかったのが
今でも悔しい!

ベトナム&ラオス旅行11  ラオ・リゾート・スピリット

ラオ・リゾート・スピリットのフロントは、移築されたラオスの古民家の2階。
サンダルを脱いで上る木の階段が素足に心地いい。
あ、ここは、とてもいい。確信のようなものが広がった。

テラスに、小さなデスクと、
いくつかの椅子を置いただけのフロント&ロビーは
今まで訪れたどのホテルより心地いい。

出迎えてくれたのはドイツ人のマリオと、ラオス人のヴィッターナさん。
まるで友人のコテージを訪れたような、フレンドリーな歓迎を受ける。

私が野鳥や野生動物好きな事を知ると、
奥から自分のノートパソコンを出してきて、周辺の生き物写真をいろいろ見せてくれる。
今まで4日間、本当に事務的な話しかしていないので、なんだかとてもうれしかった。


シーズンオフのためか、今夜のお客は私一人。
5件あるバンガローの一つに案内される。

広く清潔な部屋。谷に望むテラス。そして、何より気に入ったのは、真っ青なタイルを貼った、屋外のシャワールーム。

ジャングルに満ちる、ざわざわとした気配や、怪しげな鳴き声の中で浴びる
冷たいシャワーは至福の時間をもたらしてくれた。
(この時は、シャワーのヒーターを付ける方法をまだ知らなかったんだけど)

2010年6月6日日曜日

ベトナム&ラオス旅行10   ルアンパバーンへ。覚悟決めました。   

小さなラオス航空機は雲の中を
ガタガタガタガタ・・・・

入国カードを書き込むのも一苦労だ。

雲の下に、まばらな灯りがぽつぽつと見えてきた。

灯りには、その街の暮らしを感じさせる体温のようなものがある。

ポツポツと見える白熱電球の灯りには、
何となく人々の暮らしのぬくもりのようなものが感じられるし、
水銀灯や、蛍光灯の白々とした灯りには、
街の活力のようなものを感じる。
街灯が描き出す、道路のシルエットにも、その街の成り立ちが見えてくる。


ルアンパバーンの空港はかなり薄暗い。
乗ってきた欧米人のほとんどは、入国ビザのカウンターに並んでしまったので、
荷物を受け取り、外に出てきた人はほんのわずか。
もう外は真っ暗だ。

ロビーの外には、私の名前を書いたホワイトボードを持った
ホテルの迎えの人が立っていた。
ほっと一安心。

が、安心するのは早かった。

このドライバーさん、ハローのひとことすら
英語を話せない。
ちょっと恥ずかしそうにしているだけで、
ほとんど無表情。

お客は私一人。
車は、空港からルアンパバーンの街へ。
そして、そこから、どんどん山の中へ入っていく。
人家なし。何にもナシ。
どんどん、どんどん、どんどん、どんどん!

何を話しかけても全然通じない。

あたりは完全なジャングル。道路はガタガタ。
そして、道はどんどん細くなる。

ああ、もしかしたら、私はこのままどこかに・・・
息子やワンコに悪いな。
でも、私はもうほんとにやりたいことやったし、
楽しいこといっぱいだったし、思い残すこともないし・・・

など、思い始めたのが走り出して20分ぐらい。

そこからさらに20分。

フロントガラスの向こうに灯りが見えて、
そこから
「ハロー〜」と白人が出てきたときには、
母国で母国語に会ったようにほっとした。

ルアンパバーンの空港ビル。これですべて。 

ベトナム& ラオス旅行9 ダナン→ルアンパバーン 

旅行4日目。ベトナムホイアンから、ラオスのルアンパバーンへ向かう。

海辺のホテルからタクシーでダナン空港へ。
ダナン空港のローカルな食堂で軽くお昼。
メニューにはいろいろ書いてあるのだが、結局今食べられるのは
インスタントフォーのみ。

→すぐにフタ代わりにお皿をかぶせて
出てきた。




ライムとチリとレンゲ付き。
さりげなく可愛い。
魚肉ソーセージ風のトッピング付き。
味は・・・・やっぱりインスタントでした。

コーヒーを頼むと
「ブラック or   ホワイト?」
と、聞かれる。
ブラックはわかるけど、ホワイトって?

説明するのもめんどくさそうにしてるので試してみたら、
コンデンスミルクをたっぷり入れたグラスにベトナムコーヒーを注いだ
極甘タイプだった。



ハノイからは、ラオス航空でルアンパバーンと向かう。
ここで、お客さんの層ががらっと変わる。
ほとんどが欧米人。中国人がグッと少なくなる。

機体は小さなプロペラ機。

こういう感じ、好きです!

いよいよラオスへ。

期待は一気にたかまった。