2010年4月13日火曜日

ナチュかわ

 キビタキ、オオルリ。スター級の夏鳥たちが日本に到着するのは大体ゴールデンウィーク頃だ。今、四月の上旬にはそわそわ旅立ちの準備を始めているのだろうか。それとも、少しずつ移動を始めているのだろうか。

 先週は息子の大学の入学式だった。人間の方も、新しい旅が始まった。何百人もの新入生たちが、新しい友人を作ろうとドキドキしながら挨拶を交わしている姿は見ていてもほほえましい。

 男子はほぼ全員が黒のスーツ。いつの間にか、これが暗黙のルールになったらしい。何しろ就職難だから、リクルートスーツがすぐに必要になるし、今は就活と言えば「黒」が常識なんだそうだ。

 さて、この数百人の群れ、本当になんだかよく似たタイプの集団だ。もちろん、それぞれが自分に合わせた大学を選ぶわけだから当然と言えば当然だけど。一言でいって、ザ・草食。とんがり靴を履きそうな肉食系は少数派と見た。これでは撒き餌でもしなくちゃ罠にもかからないだろう。

 

 一方、女子は多少デザイン面でバリエーションがあるが、やはり黒一色。黒のビジネスバッグも揃え、その足で就活に出かけられそうだ。 

 私は職業上毎月かなりの量のファッション誌に目を通すのだが、このところ、赤文字系、の「モテ」を追求した雑誌の勢いがめっきり落ちてきた。広告が入らずかなり薄くなっている。いわゆるエビちゃん系の、モテを追求したファッションの女子が激減中だ。たまに見かけても、なんだかうらびれて見える。

 変わって大増加中なのが、リラかわ、ナチュかわ系だ。綿や麻素材のボディラインを隠すシルエット。うすぼんやりした色彩。せっかくミニをはいても、スパッツやデニムで脚を隠してしまう。なぜ? 不況だし、専業主婦指向は強まっているし、もっと男性受けするファッションで、エリートを捕まえたいはずなのに、と私は不思議で不思議でしょうがなかった。 

 

 そういえば、美しい瑠璃色のオオルリも、派手なのはオスだけで、メスはブラウン系のボディに、くりくり目玉がかわいい「ナチュかわ」系だ。カモの仲間も、メスはほとんどナチュラルカラー。厳しい自然環境の中で安全に子育てするためには、なるべく目立たない地味な色が有利だから、と言われている。確かに、バードウォッチングをしていても、目にするのはオスの方が圧倒的に多い。でかい声で鳴いてるし・・・・。

 先日某セミナーや業界系と業界系の新聞コラムで、やっとそれらしい答えを見つけた。

1 ゲットすべき高額所得者の若い男性が激減していること。考えてみれば、Can Cam系の女子のピークは一昨年ぐらいまで。リーマンショック前は今から思えば結構景気がよくて、六本木ヒルズ系などのちょいバブル男性が結構いたのだ。今やそんな男性はレッドデータ希少種扱い。仮にいたとしても、社会的階層が固定化しつつある現在、ファッションぐらいでゲットできるチャンスがない。で、お金もかかるし、や〜めた、という説。

2 男子の草食化がすすみ、ブランドバッグやらなにやら、メス度高め、ファッション費高めな女子はドン引きされるらしいこと。考えてみれば、今この世の中に、バブル期のワンレン・ボディコンオンナがワープしてきたら、どんだけ恐ろしいことか。つまり、今のように景気が悪く、男子も穏やかに和を尊んで暮らしている時代には、ナチュかわ系の女子の方がもてる、というわけだ。つまりは、種の保存(でもないか?)

 うちの真ん前にある代々木公園では毎年アースデイのイベントが開かれる。コンサートや、トーク、マーケット。竹と布で作られた小さなお店が軒を連ね、渋谷や原宿に遊びに来た人たちがどっと押しかけ、オーガニック食品や、フェアトレード、手作りの雑貨などのショッピングを楽しむ。

 アースデイのイベントが日本で初めて開かれたのは確か1990年。その頃エコとか、ナチュラルはちょっと特殊な世界で、市民運動をやっている人や、インドで脳内革命を起こした人も多く、少し白い目で見られたころだ。当時メジャーな雑誌でエコについて原稿を書くと、広告代理店からさまざまなクレームがついたくらいだ。つまり、経済とエコロジーが完全に反目していたのだと思う。

 先の見えない不景気、そしていよいよ崖っぷちに立つ環境問題という時間の流れの中で、思いがけない形で脚光を浴びることになったエコロジー。こんな形からでも、みんなの心に深く根を下ろしてくれるといいな、と思う。

 私たちの仕事もデフレスパイラルに巻き込まれ、毎週のように某社が倒産しそうとか、重役がリストラされた、という話を聞く。自分自身の不安感のためか、攻撃的な人も多い。正社員と派遣や契約社員との不公平感から生まれる軋轢も一触即発な雰囲気。今日はほんの半日出かけている間に、電車の人身事故が3件もあった。 

 でも、考えてみれば、私が子供の頃の格差や貧しさは今と比較にならない。いつも穴のあいた靴を履き、給食費が払えず、中学までがやっと、という子供がクラスに何人かいた。今は貧しいとはいっても、「バブル期に比べれば」なのであって、むしろあの頃の無駄遣いの方がおかしかったようにも思う。

 「希望のなさ」は現在の方が深刻だと思うけど、「希望」そのものの方向性を変えなくてはいけない時期なのだと思う。

 そんな中で、リラックス系女子や、草食男子は救いだと思う。物欲に支配され、持ち物=アイデンティティだった私たちの世代より遙かにまっとうだ。「若者が車を買わない」っていうけど、困るのは誰なんだろう?